「あの頃の私に似てるね」若い友人との会話で見つけた自分自身の軌跡
年齢を重ねて見えてきた、もう一人の自分
子供たちが独立し、夫婦二人の静かな日常が始まりました。ぽっかりと空いた時間を持て余す中で、何か新しいことを始めたい、誰かと繋がっていたいという気持ちが募る日々でした。そんな折、地域のボランティア活動に参加したことが、私にとって大きな転機となりました。そこで出会ったのが、30代の亜弥さんです。
最初はもちろん、年齢が二回りも違う亜弥さんと、深い友達になれるなどとは思ってもいませんでした。活動を通して顔を合わせるうちに、自然と挨拶を交わすようになり、共通の作業をこなす中で少しずつ言葉を交わすようになりました。私が少し手間取っていると、さっと手伝ってくれたり、デジタル機器の使い方を優しく教えてくれたり。私からは、これまでの人生経験で得たささやかな知恵をお伝えしたり、ボランティア活動の段取りについてアドバイスしたりすることもありました。そうして、お互いに「ありがとう」を伝え合う関係性が、少しずつ温かい友情へと変わっていったのです。
若い友人の姿に重なった、忘れかけていた「あの頃の私」
亜弥さんとお話していると、時々、まるで若い頃の自分を見ているような気持ちになることがあります。特に、仕事や将来について悩んでいる時の彼女の表情や言葉遣いは、私が30代だった頃の葛藤そのもののように感じられるのです。
ある日、亜弥さんは少し疲れた様子で「このまま今の仕事を続けていて良いのか、分からなくなってきました。もっと他に、自分にできること、やりたいことがあるんじゃないかって、漠然と探しているんです」と話してくれました。その言葉を聞いた瞬間、私の心には、かつて同じように「本当にこれで良いのだろうか」「もっと違う道があるのでは」と悩み、もがき、未来への一歩が踏み出せずにいた、あの頃の自分の姿が鮮やかに蘇ってきました。
私は当時、結婚して子育てに追われながらも、何か社会と繋がり続けたい、自分のスキルを活かしたいという気持ちを抱えていました。しかし、どうすれば良いのか分からず、結局は日々の忙しさに流されて、その思いを心の奥にしまい込んでしまったのです。亜弥さんの話を聞きながら、私は「ああ、私にもこんな時期があった」と、胸の奥がキュッとなるのを感じました。
世代を超えた会話が繋ぐ、過去と現在の私
「私もね、亜弥さんくらいの頃、同じような悩みを抱えていたのよ」
ふと、そんな言葉が口をついて出ました。亜弥さんは少し驚いたような顔をして、私の話に耳を傾けてくれました。私は、当時の自分の状況や、結局挑戦せずに終わってしまった後悔、そして「もしあの時、一歩踏み出していたらどうなっていただろう」と、長い間心の片隅にあった思いを正直に話しました。
亜弥さんはじっと私の話を聞いてから、静かに言いました。「先輩にもそんな時があったんですね。なんだか、私だけじゃないんだなって思えて、少し安心しました。私も、後で後悔しないように、今できることから何か始めてみようかな」
彼女の言葉に、私は胸が熱くなるのを感じました。若い頃の私は、周りに同じような悩みを話せる人がいませんでした。皆、自分のことで精一杯だったのかもしれません。でも、こうして世代を超えて、当時の自分と同じような悩みを抱える若い友人と話すことで、過去の自分が報われたような、あるいは、あの時の自分に今の私からエールを送っているような、不思議な感覚に包まれました。
年の差友人との交流が教えてくれたこと
亜弥さんとのこの会話は、私に多くの気づきを与えてくれました。一つは、時代が変わっても、年齢が違っても、人が人生や仕事について抱える悩みや不安には、共通するものがあるということです。そして、自分の過去の経験、特に「うまくいかなかったこと」や「後悔していること」であっても、それを素直に話すことが、誰かの役に立つこともあるのだということ。
さらに、若い友人のひたむきに頑張る姿や、新しい価値観に触れることは、忘れかけていた自分自身の可能性や、これからの人生の選択肢を再び意識させてくれます。「あの頃の私に似ている」と感じることは、単なる懐古趣味ではなく、自分自身の歩んできた道を肯定し、今の自分を受け入れ、そして未来へ向かう力をくれるのだと感じています。
年の差のある友人との交流は、一方的に何かを教えたり、教えてもらったりするだけではありません。お互いの人生を映し合う鏡となり、それぞれの過去、現在、未来をより鮮やかに照らし出してくれるのだと、亜弥さんとの出会いを通じて心から感じています。年齢を気にせず心を開けば、そこにはかけがえのない、温かい友情が生まれる可能性があることを、身をもって知ることができました。